2012年「東西ミステリーベスト100」の国内ランキングトップ3を読んだ。
「東西ミステリーベスト100」は、日本推理作家協会、ミステリー愛好家の会であるSRの会、各大学のミステリークラブ、各地の読書会、国内外のミステリ―通など総計795人にアンケートですべてのミステリ―作品からベスト10を選んでもらったもの。2012年の前は1986年に刊行されており、27年ぶりの改訂である。
とはいえすでに10年経過しているので、当然のことだが最新の作品は入っていない。驚くべきなのは2012年と1986年のランキングがあまり変わっていないことだ。国内トップ3のうち、1位と2位はまったく変わらないのだからびっくりである。
強い『獄門島』と『虚無への供物』
1986年および2012年ともに第一位は横溝正史の『獄門島』(1949)、第二位は中井英夫の『虚無への供物』(1964)なのだ。
横溝正史の獄門島はテレビドラマで何度も見たことがあったが、読むのははじめてだった。二位の『虚無への供物』は作品自体、今回はじめて知ったものだった。
年々新しい作品が生まれ続けている中で、こんなにも長く支持されている理由が読んでみるとわかった気がした。
ミステリ―には時代背景や人間模様、トリックなどに流行があり、そのどこに重点を置くかについても流行がある。奇想天外な物語が人気だったかと思えば、社会派現実派といわれるものがもてはやされるようになり、やがて緻密で技巧的なトリックを重視するジャンルが登場するなど、その時代時代に人気のスタイルがある。
ひとことでミステリーといっても、じつに多様でおもしろい。作品分類にかんしては、まったく詳しくないので、大雑把でざっくりした個人的印象で述べることをお許しいただきたい。
時代背景や流行を考慮すると、『獄門島』と『虚無への供物』の2作品の強みがわかる。
流行に左右されないミステリー作品とは
『獄門島』はミステリーのお手本みたいな作品である。謎がすべて気持ちよく解決するのはもちろん、物語特有の世界観は時代を越えて楽しめる。
『虚無への供物』の物語の面白さもまた、時代を超えるものがある。作中劇と現実が錯綜する展開は、今読んでも古臭さをまったく感じさせないし、登場人物たちは、むしろおしゃれな感じさえする。この作品を読んでいると、なぜか村上春樹を思い出した。
両者に共通するのは、まれに見る文章力の高さにあるように思う。どんなに非現実的なできごとであっても、想像しがたい心理状況であろうとも、読者は知らぬ間に受け入れてしまうのはそのせいなのだ。
とくに謎を解き明かす告白部分は胸に迫ってくるものがある。こうした告白は、説明に終始しがちで、下手をすれば、白けてすべてを台無しにしかねない。
ところがこの二作品にかぎっては、その部分が一番の読みどころであり、ミステリージャンルを超えた文芸作品たらしめている。
というのはともかく、いずれにせよ、三十年以上もトップ2に選ばれるだけのことはある。
ちなみに図書館で借りて読んだ『虚無への供物』は、その後購入した。
三位『占星術殺人事件』と松本清張
2012年の第三位は島田荘司『占星術殺人事件』(1981)である。ちなみに1986年の第三位は松本清張の『点と線』(1958)で、これは2012年でも第六位に入っており、相変わらず評価が高い。しかし2012年、島田荘司『占星術殺人事件』は、新本格ミステリのさきがけという評価が定着したことが大幅ランクアップにつながったと言われている。
『占星術殺人事件』は、不可能と思われる大胆な殺人トリックが最大の魅力である。アッと驚くし、面白いのだけど、逆に言ってしまうと、それ以外に見どころがないので、わかってしまうと、トップ2の作品のように読み返したくなる魅力に欠ける気がした。読者をミスリードするエピソードの数々や最後の独白部分も今となっては冗長に感じてしまうから不思議。
やはり情緒を揺さぶる心理劇や人間模様が描かれてこそのトリックだとあらためて思わされた。そういう点で、トップ2や松本清張の作品は、非常にバランスがいいかもしれない。とはいえ最近は、音楽もドラマもつかみ重視でどんどん短くなる傾向がある。ゆっくり何度も読み返せる面白味などいらないかもしれない。
また振り切った極端な作品がおもしろいと感じることもある。しかしランキングとなると、やはりバランスのいい作品のほうが支持されやすくなるということなんだと思う。
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