2020年の初詣のおみくじを日記に貼り付けて保管している。ことあるごとに見返すのがおもしろい。実に意地の悪い楽しみ方だ。
今年はコロナでどうしたものかと思っていたが、地方の神社はのんびりしたものである。と言いながらもいつもよりかなり人が少ない。歩きやすくて実に快適であった。核廃絶の署名運動も例年どおり行われていた。いつもついでに署名している。
おみくじは番号を出す筒がなくなって、広げられた無数のおみくじの中から一つ、自分で選ぶようになっていた。
おみくじの言葉はよくできている。
おみくじには「大吉」や「大凶」といった総合的な運勢のほか、わたしの引いたものでは、願望(ねがいごと)から縁談まで13項目の運勢が書かれている。結んでしまうとすぐに忘れてしまってもったいない。
おみくじは結んで帰るものと思い込んでいたのだが、あるときずっと保管して大事に持っている人がいることを知った。おみくじを持ち帰ると縁起が悪いからやってはいけないことなのかと思っていたが、そんなことはないようだ。何回もじっくり読まれては都合が悪いというのはあるかもしれないが。
持ち帰ることにしてからというもの、この年に一回のおみくじがことのほか楽しみになった。というのも、おみくじのことばは、じつによく考えられていておもしろいからだ。
そもそも優れた占いには、優れた詐欺師ではないが、決して騙されたと思わせないうまい言葉遣いがあるように思う。これを学ばない手はない。
よいこと悪いことの両面サポート
おみくじで「大吉」を引いても、よいことばかり書かれているわけではない。
たとえば、
- 改めかえてすれば
- 見込み確かなれば
- 信心怠りなければ
といった条件がついていたりする。こうなると、うまくいかないのは、自分が何かしでかしているせいではないかと思う。
反対に、悪いときにも救いがある。
- 急がず待てば
- 信心怠りなければ
- 人にまかせれば
と災厄を避けられる条件が書かれていることがある。
いずれの条件も具体性に乏しいのがポイント。結局どうすればいいのかよくわからない。
もしかしてこういうことかと考えさせようとしているのかもしれないし、そうでないかもしれない。
実にうまいやりかたである。
信じるも疑うもおみくじ楽し♪
人間は信じる生き物だと思う。そうでなければ、こんなふうに社会を作って暮らせていない。お金や車も信じているから使っていられるのだ。
その一方で、裏をかいて騙そうとする者は必ず現れる。その繰り返しで、うまくバランスをとりながら生活しているのだなあと思う。
信じてばかりでは疲れてしまう。ときには疑うのもいい。決して騙されまいと躍起になるのも危ない。
神はいいものも悪いものも与えると聖書に書いてある。そういえば、聖書の暦(今日読む聖句)はくじで決めると聞いたことがある。
幸運を喜び、不運を警戒し、信じて嬉しがり、疑って楽しむ。
おみくじは楽しい。
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