新婚当時暮らしてた町はずれに、おばあちゃんがひとりで店番しているさびれた本屋さんがあって、そこで『薔薇族』という雑誌を目にしたときの衝撃を今もはっきり覚えている。
オットとふたり、何やら見てはいけないものを見てしまったような、でも、こういう誰も来なさそうな店にあるんだと、妙に感心したのだった。
あれからずいぶん世の中が変わった。その『薔薇族』を作った伝説の編集長は現在88歳になるという。
そのインタビュー記事をおそるおそる読んでみたら、なんだ、とっても素敵ないい人。
コロナ禍の告白 実はノンケだった『薔薇族』伊藤文学編集長ロングインタビュー(デイリー新潮)
出版社の経営を立て直すために
伊藤文学氏は、お父さんが作った出版社を継いで立て直さねばならなくなった。
お父さんは文芸作品を出していたが、売れないから儲からない。だから著者の印税をごまかして運営していたという。いくら格調高い本を出していても、著者をだますようなやり方を文学氏はかねてから気に入らなかったようだ。
そこで艶笑小話のような売れる本を出し、印税ではなくて原稿を買い取る方法に変えた。
すると、
出してる物は下品なんだけど、会社としては健全になるという何とも皮肉な話
になったという。
伊藤氏は下品と謙遜しているが、色っぽい本は時代を問わず需要がある。小さな出版社が生き残るための冷静で見事な経営判断だったのだ。
お父さんは印税をごまかしていただけではない。結局愛人をつくって働かなくなった成り行きで、伊藤文学氏は傾いた出版社を仕方なく引き継ぐ羽目になったのである。そんなわけでとりあえず、経営が成り立つ本を出すことにしたのがはじまりだった。
売るより助けたくて
だからといって、伊藤文学氏は、儲けることを考えて本を作っていたというわけでもない。
自分が困ったときの経験、読者や周囲の人の悩みを知り、そういう人たちに役立つ企画を生み出してきた結果、たまたま『薔薇族』にたどりついたのである。
売るための企画というより、困っている人の役に立ちたいという思いから出たアイデアがことごとく当たったのだ。考えてみればライバルがいないのだから当然かもしれない。
ふつうでは想像もできない趣味の人たちの思いがけない苦労を知ることになる。
伊藤氏は、どこの出版社でも断られたであろう先進的な企画をやろうと決断する。
興味本位の目新しさに飛びついたのではない。これもかつて自分が困ったことを思い出し、同じように困っている人の救いになると確信したのだ。
人には誰しも世間には知られたくない、おおっぴらにはできない世界を抱えているものである。しかし、そういうものには互いに触れないというか無関係を装うものだ。ところが伊藤氏は、障壁なく向き合ってしまうところがある。その壁の無さ、寛容さに驚かされる。こういう人だからこそ、幅広い立場の悩みや困難を集約することができたんだろうと思う。
立場の弱い人とか、差別を受けたり、偏見の目で見られている人の役に立とうという思いしかなかった。これは本当。
この下心のなさがスゴイ。
多様化だ、マイノリティだと言われるようになった今も、差別や偏見はなくならず、苦しんでいる人は後を絶たない。見て見ぬふりをするしかできないわたしは伊藤文学氏を心から尊敬する。
こういう人がいることを希望に思う。
仕事は、お金を稼ぐだけでもお人好しだけでも駄目。いい塩梅でいきたい。
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