西加奈子「i」を読んで

book i

又吉直樹さんが西加奈子さんの小説のことをよく話しているので気になっていた。確か直木賞受賞作『サラバ!』も図書館で予約待ちしていたと思うのだが、タイミングが合わなくて読まずじまい。今回はじめて読んだ。

登場人物やストーリーがシンプルで読みやすいがテーマは深い。誰にでも思い当る部分と理解できない部分が絶妙に混在する加減がお見事。ちょっと吉本ばななさんを思い出した。

アメリカ人の父と日本人の母の養子として育ったシリア人アイが主人公。

内戦、テロ、地震、貧困と残酷な現実にあふれている世の中で、たまたま恵まれた生活環境にあることを苦しむ。

あたりまえの生活はあたりまえではない。そんな話をよく耳にするようになった。そして感謝しなければならないという風潮。言われてることは何も間違っていないのだけど、恵まれているとされる基準があるわけでもないし、いつでも感謝の気持ちが自然とわいてくるわけではない。ただ、ほかと比べて少しでもラッキーだったら、感謝しないと罰当たりのような気にさせられるのだ。

うちにいると、外で働くオットをはじめ、子どもを預けて働く人、働く高齢者など、すべての勤労者に申し訳ない気持ちになることがある。また被災地でボランティア活動や募金をしている人たちや遠く離れて暮らす老いた両親のことを思うと、何の役にも立っていない自分がみじめになることもある。わたしにだって当然だが不満も不安もありまくる。だけど自分だけのん気で平和に過ごしていることが後ろめたくなるのだ。

もしかしたら世の富豪たちも同じように、自分だけが極端に恵まれていることを心苦しく思う一瞬があるのだろうか。失う恐れは半端なく、勝ち続けることもさぞたいへんなことだろう。恵まれようとする欲には際限がない。あれはあれでご苦労なことなのかもしれない。

慣れると当然になって、少しもありがたいと思わなくなる人間には、半ば強制的に「感謝するもの」と思うぐらいがちょうどいいのかもしれない。それでもアイのように、自分の無力さと真摯に向き合って苦しむ人がいるのだ。そういう存在が世の中の救いになるんだと思う。

理解できなくても、想うことが世の中を変える

どうしても意見が合わない。心情が理解できない。許せないことがある。それでも同じようにみんな生きていかないといけない。その苦難と向き合うときなのかもしれない。

少数の富裕層や権力者は強大な力を持っているが、その力に変化を期待することはできない。

この頃やたら想像力の大事さが言われるようになった。空気を読むのが得意とされてきた日本人だが、自分に都合のいい人の気持ちしか読めないのでは、想像力に長けているとは言えない。イギリスでは、シンパシーよりエンパシーの大切さを教えるらしい。エンパシーとは、自分と違う理念や信念を持つ人や共感や同情できない立場の人の考えを想像する知的作業のこと。人種も貧富もごちゃまぜの公立中学に通う息子の中学生活を描いた『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』の中で、主人公の息子は、エンパシーについて「誰かの靴を履いてみること」という素敵な表現をしている。

今、世界で起こっているできごとを想像し、心を痛めたところで、すぐに忘れるし、どうなるものでもない、と思ってきたけれど、間違いだったと思う。ほかの人の不幸や苦労を一瞬想像して思いやっても、またすぐ自分の目の前の生活に追われて忘れてしまうだけだったとしても、それはかたくなに知ろうとしないのとはまったく違う。

今、マイノリティやハラスメントの意識がこれだけ変わってきたのは、想像し知ろうとしてきたことの積み重ねにほかならない。理解できなくても、想うことが世の中を変える力になるのだ。

ほかの人と同じでありたいと思う気持ちがある一方、ほかの何者でもないひとりだけの自分がいる。そのせめぎ合いで人は苦悩する。養老孟子さんによると、人の脳がそうできているのだから、どちらか一方を消すなんてことはできないという。すべては釣り合い問題で、生きてる限り、おっとりをとろうと苦心し続けるもので、それが生きるということなのかもしれない。

社会と個人、外面と内面、自然と意識、いずれも一方に極端に振れると幸せになれない。バランスを崩さない秘訣は、どんな他者であれ、どんな自分であろうとも、その存在を否定しないように努め続けることでしかかなえられないのだと思う。

『i』は理解できなくても、この地上で共に生きることはできると語っている。

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