アドラー心理学や脳科学の本を読んでて、一番びっくりしたのが感情のメカニズム。
感情というのは、けっこう後から来るもので、真っ先にあふれ出てくるようなものではないらしい。
感情というのは、確かに簡単に誘発されてしまう面があって、コントロールしようと思えばできるものみたいだ。
あふれ出てくる感情こそ本物の人間らしさで、何より素晴らしいもの、と思うのは、もしかしたらコワいことかもしれない。
脳の2つのはたらきのせめぎ合い
養老氏によると、人の脳には、グループにまとめて同じにしたがる部分と、一つ一つの違いを察知する部分があって、それが明確に分離されずに混ざり合う部分を持っているからめんどくさいことになっているんだとか。
個人の問題も社会の問題も、すべてはこの脳の働きで説明がつくという。
すべてはバランス問題で、すっきり片が付くことはない。なぜなら対立する働きが存在するんだから仕方ない。どちらかがもう一方をないものにする解決はあり得ないのだ。
巷では、「憎むのも怒るのも当然」といった論調があるけれど、当然の感情なんて、じつはない。憎みたいから憎んでて、怒りたいから怒っている。そのほうが得だったり、ラクだったり、都合のいい感情を選んでいるのだ。でもその都合がいい答えを選ぶのはバランス問題だから難しい。揺れ動いて当然のように間違うことがある。
自分が選んでいるならまだいい。考えるのがめんどくさくなって、自分以外の誰かにまんまと誘導されていることも少なくない。
そんなことを考えると、うかうか感情に溺れていられないなぁ、と思う。
脳のはたらきについては、あくまでもわたしの解釈なので、興味のある方は読んでみてください。
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感情のメカニズムについては、アドラー心理学に限らず、いろんな本で紹介されています。
感情をあおられないために
日々、感情があおられてるなぁ、と思う。
とくに生きる気力を失わせるような、マイナスの感情をあおられるのにはほんと困る。
お金持ちが憎らしいのも、貧しいことを恥じるのも、外国人を疎ましく思うのも、意見が合わないと蔑むのも、自然にわいてくるあたりまえの感情ではなく、自らわざわざ選んでいるのだ。
たとえ感情をコントロールできたとしても、不満はなくならないし、問題も解決しない。負の感情が消えてなくなるわけでもない。
ただ、その感情に溺れることがはたして本当に得策かは考えたほうがいい。
松本サリン事件の被害者で、一時容疑者として世間から大変なバッシングを受けた河野義行氏は、次のように語り、すべての関係者を許す選択をして驚かれた。
恨んだり憎んだりするという行為は現実には、夜も眠れなくなるほどの途方もない精神的エネルギーを要するものです。しかも何もいいことがない。不幸のうえに不幸を自分で重ねていく行為なのです。
そんなことをあえて自分から選ぶ必要はないでしょう。
ある意味、これは損得問題です。
自分の力では変えられないものごとにとらわれて、安易でわかりやすい感情に溺れることは、フラットなバランス感覚を失うことだ。
二つの対立する働きが混在するめんどくさい脳を持っているというなら、ちょうどいい塩梅を見極める知的な能力をも備え持っていると信じたい。
そのバランス感覚が自分の身を守ることになる。
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