はたらけど
はたらけど猶(なお)わが生活(くらし)楽(らく)にならざり
ぢっと手を見る石川啄木『一握の砂』
切実さが足りないという人もいるけど、ここんとこよく思い浮かぶ。
「稼ぐに追いつく貧乏なし」というけれど
朝から晩までせっせと働くのが美徳とされてきたものの、過労死するほど働くというのはどうか、ということになってきて、労働時間を減らすという。
労働時間を減らしても、暮らしていけるんだったら、とっくにそうなってたと思う。
会社も家庭も回らない。だからみんな無理して働いているんじゃない。
会社はどんどん儲けないといけないし。
だけど会社で働く労働者が商品を買う消費者で同じなんだから、そのうち働くことにも買うことにも限界が来て行き詰まることになる。「うちの会社の得意先は海外だからだいじょうぶ」なんて愚かな考えはしないほうがいい。世界中、どこもかしこも同じようなことになっているんだから。
とりあえず、死なない程度の労働をして、得られる稼ぎや手持ちの資本で、できる範囲のつましい生活に切りかえていくしかない。
節約して我慢するような生活はしたくないとか、生活の質は落としたくないとか、思っていた時期もあったけど、いよいよそんな甘いこと言ってられなくなってきた気がする。
エアコンもスマホも当たり前になってしまった時代に、今さら昔のような生活に後戻りするのは限界があるとは思う。
でも、どんどん儲けないといけない会社の宣伝広告に踊らされて、必要以上にお金がかかる生活に慣らされているかと思うと癪に障る。これでは遊郭から逃げないように贅沢漬けにされた遊女と同じだ。
賃金はコストで抑えることしか考えていないような会社の売り上げに、素直に貢献することはない。
今こそ必要最小限のモノに厳選し、賢く買うことが求められている。
拡大するしかない市場主義こそ非現実的
どこの賢い専門家も、世界の社会問題を解決できないでいる。能力がないというより、結局どうすればいいのか、ほんとは誰もわかってないんじゃないのかなって思う。
お金に関して言えば、ウィンウィンなんてあり得ない。どう考えても奪い合いなんだから。
拡大して成長するしか道がない市場主義は、いつか破綻するしかない。これまでもその繰り返しだった。
賢い人たちは、そんなことわかってて、破綻したとき、どうすれば勝ち逃げできるかを考えてて、よりよい社会をつくることになんか興味ない。
こんなのにいちいち巻き込まれるしかないんだからかなしい。
もうこうなったら、非現実的と言われようが、分かち合って助け合うしかないじゃないの、と思う。
ある人がない人に分け与えて、できる人ができない人を助けて、それを回していくためにテクノロジーを利用する。
そんな世界にならないかな。
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