リモートとは、正確なことは知らないが、ざっくりしたイメージでいうと、それぞれ遠隔地にいても、情報を共有したり話し合いができるIT技術のことだと思って話を進めることにする。
スマホが普及して、誰もがインターネットを利用するようにはなっていたものの、リモートを利用した仕事はどうかというと、まだまだごく限られた人たちが利用しているに過ぎない印象だった。
ところが、コロナの影響で、どんな職種も急にリモート化が求められるようになっているが、これで在宅ワークがやりやすくなったかというと、そうかんたんではないのである。
リモートならではのコミュニケーション能力
社交的でないわたしはコミュニケーション能力という言葉が好きではない。そんなわたしは、どちらかといえばリモートのほうがコミュニケーションしやすいみたいだ。
なぜなら、
- 服装などを気にしなくていい。
- 往復の時間など、拘束時間が少ないので負担が少ない。
- 文字と会話の両方のやりとりが一定の距離感を保ちながらマイペースでできる。
といったことがあげられる。
相手の反応を直にその場で感受したいという人の気持ちもわからないではない。わたしもメールや電話のやりとりよりも、会議チャットで顔を合わせて話すほうがやりやすいこともしばしばある。しかし、リモートにはリモートなりのよさがあり、そっちのほうがやりやすいと思う者もいるのだ。
リモートならではのコミュニケーションといっても、じつはリアルとほとんど変わらない。相手が不安にならないようなまめな連絡や不快にさせない言葉遣いや態度を心がけるのは同じである。
ただ、それの文字依存度がかなり高いことも確かである。また、やりとりによるタイムラグの発生もリモートにはよくあることなのだ。だから書くことを怠ると、一気にコミュニケーションが希薄になって、あらぬ誤解を招きかねない。
その一方、言いにくい本音や謝罪が案外素直に言い合えることもある。近過ぎない距離感やちょっとした時間差が感情的にならないですむようなのだ。
かといって、SNSでたえずやりとりできるようにすると、24時間仕事するハメになる。
だからこそ、自分のペースをさりげなく相手に伝え、無理なく全力で対応できる体制をつくるのに大事になってくるのが書くコミュニケーションなのだ。ほかに映像や音声という場合もあるかもしれない。
なんにせよ、相互の時間的拘束負担に最大限配慮してやりとりすることがリモートならではのコミュニケーションではないかと思う。
それぞれの距離感とそれぞれのコミュニケーションで
リモート化で仕事がしやすくなった人もいれば、やりにくくなったという人もいる。そもそもリモートできない仕事もある。
わずかでもリモートワークができるようになって喜んでいる人がいるなら、それはそれで働き方のバリエーションが増えたんだから喜ばしいことではないだろうか。
在宅ワークのやりにくさに気づいて、職場のありがたさが身に染みたという人もいると聞いた。それはそれで気づけてよかったと思う。
コロナの影響で、エッセンシャルワークやケアワークといった仕事があらためて注目されたことも悪くない。
いろんな人がいろんなかたちで苦労しながら生活していることをあらためて知った気がする。
コミュニケーションにもいろんなやり方があって、人との距離感も近ければいいというのでもないことに気づかされて、社交的でないことと、コミュニケーション能力の優劣は関係ないと思えるようになった。
誰でも自分が快適な距離感やペースでできるコミュニケーションを尽くせばいいのだ。
リモートワークというのが一つの働き方として認められつつあることは、うちで細々と仕事しているわたしとしても嬉しいことである。
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