夏休み読書感想文の課題に思う

natuyasumi dokusyokansobun ni

個人で作文支援の教室をしていると、夏休みの読書感想文の課題をやりたいという要望がかならずある。どんな課題かと聞くと、小学生は原稿用紙三枚の1200字、中学生は五枚の2000字で、最後の行まで文字を埋めるように指示されているのには驚いた。

まあ地域や学校によって、夏休みの宿題にはいろいろ違いがあるとは思うけれど、読書感想文は自由提出を含め、夏休みの宿題の定番であることには違いがないようだ。

作文は教わらなくても書けるという思い込み

作文は、わたしが子どもの頃から、とくに授業で習わなかったように思う。

それでもわたしの場合は、毎朝学校に行くと、日記を書かされた覚えがある。班ごとの交換日記をやらされたこともあった。読書に限らず、ふだんの宿題で感想文を書かされることもたびたびあったように思う。このように、あらためて作文を習うことはなかったものの、何か行事があるたびに、感想文や作文を書かされる機会があったように思う。

今の子どもたちはどうなんだろう。わたしは、学校で作文を書いたことがあるか、と必ずたずねている。すると、ほんとかどうかわからないが「書いたことがない」という子どもが多いのに驚かされる。今の学校は、教えることがたくさんあって先生も忙しいと聞く。わざわざめんどうな作文など書かせないのかもしれない。

ある日、作文がまともに書けないわが子に気づいた親があわてて教室に問い合わせてくることが少なくない。

その一方、非常によく書ける子もいる。やはり学校ではほとんど書くことがないので、こうして教室で書く時間を作っているのだという。こうした子は、放っておいてもどんどん書けるようになる。

ふだん作文を書く時間を作らないでおいて、夏休みにいきなり長い作文を書かせ、どうにかつじつまを合わせるつもりだとすれば、やり方が乱暴すぎて心配になる。しかし現場の先生は、作文を見る余裕なんてないのかもしれないとも思う。

作文は、習わなくても書けるものだと安易に考えてはいないだろうか。

確かに、作文などあらためて、どうこう教わる必要はない。ただ書く経験が少な過ぎると、さすがに手も足も出ないということがある。そう思うと、わけもわからず何かというと手を動かして作文させられてきた昔のやり方はまんざらでもなかった気がしないでもない。しかし、八十を過ぎたわたしの母などは、作文が大嫌いだったと言うのを聞くと、書かせればいいというのにも問題がありそうである。

作文は、絵や音楽のように、才能のある人だけができればいいというのとはまた少し違うから厄介だ。

作文教室のブログには書けない

読書作文教室みのりを始めたとき、教室のブログを作った。当初の意気込みとは裏腹に、結局そのブログは、今となっては問い合わせ窓口としての機能しか果たしていない。

ほんとは、もっと教室のようすをお伝えするつもりだったのだが、考えてみれば、生徒のことをあれこれブログで書くわけにはいかないということに気が付いた。作文というのは、非常に個人的な作業である。個人的な話に踏み込んで話し合うことも少なくない。

もちろん許可をとって、当たり障りのない記事を書こうと思えば書けないこともない。しかし、そんなことをわざわざ書く必要があるだろうかと思い出したら書けなくなった。

どんな生徒がどんなふうに習っているのか、どんな作文が書けるようになるのか、ひとことでは説明できないおもしろい話は、たいていごく個人的なことで、残念ながら本人が特定できないようにしたところで、ブログには書くべきではないと判断した。

そんなわけで作文教室のブログは、いつの間にかほとんど投稿しなくなった。

長年所属していた作文教室では、講師が助け合えるシステムがあるゆえ、教材どおり、どんな生徒にも公平平等に接することが求められた。そのことにちょっと窮屈を感じ、それで始めた個人教室である。進め方も日程も話し合いで柔軟に決める一方、わたしの都合でお受けできないこともあったりして、ありがたいことにのびのびとやらせてもらっている。

わたしの作文教室は、作文が最低でも苦にならないものになるように、できればおもしろいと思ってもらえるようなお手伝いを目指している。ほかにはたぶんちょっとない、あなただけのための教室になれるよう日々努めている。

よろしければ、お問い合わせください。

200927minori

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