そんな大げさな、と思うだろうか。
人新生(ひとしんせい)の「資本論」には、今その瀬戸際にいることを突き付けられる。
どんなコワい話よりゾッとするかもしれない。そういう恐怖心を味わうのが好きな人におすすめしたいが、楽しめるかどうかはわからない。
前半の現状解説を読んでいると絶望的になる。そんなことをしている間に寿命が来て、ギリギリセーフだといいな、などと年長者が無責任に考えたくなるのもわかる。わたしもその年長組にそれこそギリギリ入れるかもしれないからだ。
必死になって考えないようにしていること
数年前に読んだ『寝ながら学べる構造主義』の中にあったことを思い出す。
無知というのはたんなる知識の欠如ではありません。「知らずにいたい」というひたむきな努力の成果です。無知は怠惰の結果ではなく、勤勉の結果なのです。
あることを知らないというのは、ほとんどの場合、それを知りたくないからです。知らずに済ませるための努力を惜しまないからです。
社会問題は、そもそもが解決困難で、これまでも何一つうまくいった試しがない。それで結局戦争になったり、貧困で行き詰ったりしても、たまたま無害ですんだ人たちがうまくいかなかったことを見ないようにして過ごしてきたのだ。
今も少しも変わらない。
資本主義は環境破壊するもの
新しい資本主義というのがあるかのようにいう人もいるが、資本主義というのは、生産するためにどこまでも労働力や土地や資源を食い尽くして成長し続けなければならないシステムである。
しかし、そうした地上の生産力にはあたりまえだが限りがある。コンピューターで効率化すればいいかといえば、そのコンピューターを動かしているのも限りある資源なのだからどうしようもない。
いずれ破綻する。そうわかっている人は少なくない。でも、しばらくは何とかなるんじゃないの、と懸命に見ないようにしているのが現状なのだ。負けるとわかって戦争し続けた日本もこんな感じだったんだろうか……。
必死で無知を通したおかげで、日本の暮らしがどれほど貧困国の犠牲の上に成立しているかといったおぞましい事実を知らずに暮らせているのである。
温暖化の気候変動で失うものは
このところの台風や大雨洪水、大雪の被害もまた温暖化の影響と言われているが、以前から日本は台風や洪水、大雪の被害があったことを理由に、ただの自然現象ととらえる人は少なくない。
温暖化対策を本気で始めると、経済活動がしにくくなって、それはそれで困窮する人が増えるのも事実だからことは単純ではない。もっと早くから少しずつ手を打っておけば、最小限のリスクに抑えられたかもしれないという。
何だか感染対策と似ている。
でも結局おしりに火がついてから「焼け石に水」のようなことしかできないことを繰り返してきたみたいである。
気温が3℃上がると、日本の沿岸部の多くに人が住めなくなるという。リアル日本沈没である。地球規模で考えるとさらにおそろしい。今でさえ解決できない難民がどんどん増えることは簡単に想像できる。
こうしたタイムリミットがいよいよ現実的になってきたからこそ、国連は唐突に持続可能な開発目標(SDGs)なるものをキャンペーンし、とりあえずがんばってる感をアピールしているつもりのようだ。自分たちは、どういうわけか勝ち逃げできると思っているのが透けて見える、本気度がまったく感じられないこのところの押し売りコマーシャルにはさすがにうんざりする。
温暖化が止められなければ、老後の年金を心配するどころではなくなるのだが、不景気や失業の心配はしても、本気で温暖化の心配をしているのは、今にも国土を失いつつある島国や研究者くらいのものだ。
やっぱり考えたくないし、見ないようにしているからだ。
水と土地の奪い合いになる戦国時代に逆戻りする可能性さえ指摘されている。確かに考えたくもない未来である。
どうすればいいか
これまで資本主義の限界を述べる人はいても、次にどうすればいいかを提案できずにいた。
あまりに資本主義があたりまえになっている今、次のステージに移行するリスクを思うと踏み出せず、ただ茫然とするしかないからだ。
人新生(ひとしんせい)の「資本論」では、タイムリミットが目前に迫った今、野蛮な戦国時代になるのを黙って待っていていいのかという問いかけをしている。
たとえ間に合わないかもしれなくても、新しい脱成長システムに向けて、少しずつでも移行する努力をするときだと述べている。
もう嫌なものは見ないでは過ごせない。そんなときが来てしまったのかもしれない。
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