『人新生の「資本論」』を読み終えた。
知らないことというか、薄々感じていたけど見ないようにしている一番大きくて手に負えない問題を突き付けられる本。しばらく憂鬱になったり、何かできることはないかと考えてみるも、そのうち絶望して考えるのをやめてしまいそうになるテーマだ。
老後のこととか、障害者の子どもの将来とか、お金のこととか、個人的な問題も、結局考えても仕方ないということになって考えなくなるのだけれど、こんな大きな問題とも全部つながっていることにあらためて気づかされて、やっぱり途方に暮れている。
ひとりひとりの力を奪うのが得意
大きな権力を持った国や企業を前にすると、ひとりの力などないに等しい。だから何をしても無駄だとあきらめることに慣れてしまう。
先日の沖縄県の市長選では、基地容認の人が当選した。地元の人の話によると、基地に賛成したわけではないという。ただ、何を言っても国は聞き入れないし、どうせ作る。だったらお金をもらったほうがいいではないか、と考える人が増えたようだ。
権力者はお金をちらつかせ、ひとりひとりの力を奪うのがお得意だ。広島の元議員も莫大なお金を配っていたことが発覚したけれど、お金を配ると本当に当選してしまうことにびっくりした覚えがある。
どうせ世の中なんて変えられない。だったらだまってお金をもらっておいたほうが得ではないか。そう思ってしまうのもわからないではない。まんまと権力者の思うつぼに追い込まれてしまうのが弱者の哀しいところなのだ。
追い詰められたあげく
追い詰められると何をするかわからない。とんでもない暴力に出ることもある一方、苦し紛れのアイデアに当たることもある。
資本主義はグローバルサウスを犠牲にして成長している残酷で先のないシステムであることがわかっている。グローバルサウスというのは、資本主義のグローバル化によって被害を受けている領域や住民のこと。
長い間、資本主義をやめるにはどうすればいいのか、誰もわからなかった。何とか資本主義を立て直すことができるのではないかという意見のもと、何となく資本主義を続けていたら、とうとう地球を過剰に消費し過ぎて、気候変動が止まらなくなってしまったというのが現状だ。
大洪水で住むところのない移民になれば、失業や老後の心配どころではない。そんな瀬戸際まで来ている。SDGsキャンペーンなどして余裕をかましていていいのだろうか……。
とはいえ資本主義をやめて脱成長などといきなり言われても、やはり敷居が高過ぎる。
ああもう絶望的。読みながらそう思っていたのだけど「フィアレス・シティ」の存在を知り、すごいなあと少しうれしくなった。
「フィアレス・シティ」とは、国家が押しつける新自由主義的な政策に反旗を翻す革新的な地方自治体を指す。国家に対しても、グローバル企業に対しても恐れずに、住民のために行動することを目指す都市だ。
最初に「フィアレス・シティ」を名乗ったのがスペインのバルセロナなのだが、どうしてそうなったかというと、バルセロナ市民が資本主義に追い詰められ、グローバルサウスの気持ちがわかるようになったからだ。
晩年のマルクスは資本主義の残虐性に気づき、反資本主義の可能性をロシアの農耕共同体や反植民地主義運動の中に模索し、脱成長コミュニズムに到達したという。
「フィアレス・シティ」は、まさしく脱成長コミュニズムに向けた運動である。
水や電力、住居、医療、教育といったものを公共財として、自分たちで民主主義的に管理することを目指す。
国境を越えて連帯した「フィアレス・シティ」ネットワークの精神は「ミュニシパリズム」と呼ばれており、国際的に開かれた自治体主義を目指している。グローバル・サウスの抵抗運動に学び、「気候正義」と「食料主権」を核にしている。
グローバル・サウスでは、先進国の輸出用作物が優先され、農業国でありながら、国内ではコモンであるべき食料が不足し、飢餓や貧困に苦しんでいる。
「南ア食料主権運動」のモデルでは、農民たちは、自分たちの手で協同組合を設立する。地域のNGOが必要な農具などを貸し出し、有機栽培についての教育を行い、資本によって独占された技能を取り戻し、遺伝子組み換え作物や化学肥料に依存することなく、農民が種子を自家採取して管理する持続可能な有機栽培を根付かせることを目指している。
気候正義とは、気候変動を引き起こした先進国や富裕層とその被害を被るグローバル・サウスの人々や将来世代間にある不公正を解消し、気候変動を止めるべきだという認識のこと。
日本も先進国の夢を見続けるのに無理がきている。そろそろ資本主義の外側に追いやられたグローバル・サウスの気持ちになったほうがいいと思う。アメリカには逆らえないし、核禁止条約にも賛成できないし、経済もまわらなくなってきているし、自立できない後進国のあらわれのような感じがする。
どうか追い詰められたあげくの戦争とか無能な独裁国に向かわないことを祈る。
スポンサーリンク