若い頃、年長者は、時代の変化についていけない古くさい人というイメージがあって、わたしは昔の話をすすんで聞こうとしなかった。
もったいないことをしたと思う。
同居していた祖母は明治生まれで、世の中が目まぐるしく変化する時代に、戦争はもちろん、大不況も、お商売も、シングルマザーの子育ても経験した、けっこうすごい人だったのに、まともに話を聞いたことがなかった。
あまりおしゃべりな人じゃなかったし、わたしも聞こうとしなかったのだから仕方ないけど、もっと話を聞いておけばよかったなぁ、と最近つくづく思う。
昔話をおもしろがるには
若かりし頃の自慢話や昔を懐かしまれても、うっとおしいだけだと思う気持ちもわかるけど、昔を実際に経験してきた人の話は貴重な情報である。
思い違いや大げさで嘘も多いだろうけど、おもしろがって聞いたほうが得な気がする。
いつの時代も世の中に翻弄されて、懸命に生きてきたことに変わりない。
どんなふうにピンチを乗り越えてきたのか、知りたいと思う人は少なくないと思う。
小さな子は、おじいちゃんやおばあちゃんの話を異次元のこととして素直におもしろがれるのに、少し大きくなってくると、聞けなくなるのはどうしてか。
説教臭く感じたり、昔の価値観のほうが優れているかのようにふるまわれることを警戒しているのかもしれない。中にはそういう人もいそうだし、そんなつもりがなくても、昔を懐かしんで勝手に盛り上がられてもつまらない。
この頃は、何でもすぐグループ分けして、似た者同士、すぐくっついてしまいやすいのがいけない。
異質な人がいてあたりまえになれば、もう少しお互いの話をおもしろがって聞けるようになる気がする。
今は寿命が長くなって世の中の動きも早い。意思疎通で困るのは、何も世代間に限ったことではなくなってきている。
何かといえば分断が問題になっている。
異質なものを寄せ付けなくし、似た者同士くっつき合うことで安心しようとしているのは、自分かもしれない。
価値観の違う話ほど、聞いておいた方がいい
今とは違う昔を知っている人たちは、どんな価値観のもとで暮らしてきたのか。
古いし間違いだから知らなくていい、ということにはならない。
善悪や正否を議論する必要もない。
ただ聞く機会があるんだったら、聞いておいて損はないというだけのこと。
世の中の価値観が変わってきたように、今の世の中の価値観もやがて変わっていくのだとしたら、価値観の違う話ほど、ためになるものはない。
スポンサーリンク