「運がない」と言わない理由

luck

お金や才能がないなら、せめて幸運でありたい。

「たまたま。ラッキーだっただけ。」と言うときの優越感たらない。

運は最後の望みなのだ。

だから「運がない」なんて言いたくない。

すべては運しだい?

若い頃、週刊誌の星占いは必ず読んでいた。

書いてあることをその場で忘れてしまうぐらい信じてなかったわりには、どういうわけか好きだった。

世の中、運でどうにかなるなら努力なんていらないじゃないか、と思っていた。

不運な人には、それなりの理由があるとまで考えていたふしがある。

わかりやすい因果応報的思考で、今流行の自己責任論者だったような。

それがいつ頃からか、すべて運しだい、などと思うようになった。

でも、若い頃のように、じゃあ努力は意味がない、なんて思わない。

報われるとも限らないが、報われないとも限らない。

それも運しだい。なるようにしかならない、という考え。

これは投げやりになるというのとちょっと違う。

ただ、世の中には、自分の力ではどうにもならないこともあるってことを受け入れないと、前に進めないことがある、と知ったのが大きい。

運がいいとか悪いとか

「すべては運しだい」とは言うものの、運がいい悪いの判断は、誰にもそう簡単に判断できるものではない。

「怪我の功名」なんてこともある。

「いい」とか「悪い」なんてのは、たいてい誰かが何かと比べるところから始まってて、けっこう胡散臭い。

運は、自分がいいと思えばいいし、悪くないと思えば悪くない。

その程度に考えたほうが真っ当かも。

運は「ある」と思えばあるし、「ない」と思えばない

それまで誰も見たことも聞いたこともなかったのに、言葉にしてはじめて姿をあらわすものがある。

「運」もそういうモノのひとつだと思う。

運なんて、口にしないし思いもしない人にとっては、ないに等しい。

こういう場合の「運がない」は運がないというのとちょっと違う。

ああ、なんか、ややこしくなってきた。

「すべては運しだい」だからと言って、励んだり努めたりを投げ出して、毎日がおもしろくなるわけでもないし、励んで努めたからこそめぐりあえる運もある。

それに運がいいとか悪いとか、ほんとは誰も判断できないことなんだと思う。

だからわたしは「運がない」なんて言わない。

わけのわからない宗教みたいに、「わたしってそこそこ運がいい」などと唱えながら、せっせと励んだり努めたりする日々は、まんざらでもないのである。

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