「目標」と「願いごと」の可能性

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先日、願いごとを棚ぼた式に書いていくと幸せになれるという「願いごと手帖」について書きました。

手帳にはふつう目標を書きますよね。

かなうかどうかわからない願いごとを書くより、目標を書いて日々努力するほうが有意義だと思いませんか?

目標と願いごとでは何が違うんでしょう?

「目標」は挫折する可能性大。

目標は高いほうがいいと言われてます。

ただし、目標は実現しないと意味がありません。そこが願いごとと違うシビアな一面です。

というわけで、目標を実現するために、さらに細かな目標が階層的に作られていくことになる。

最終的に、「だから今何をするべきか」といったToDoリストにまで下ろされます。

ここまできて、やっと今やるべきことがわかる。

ただし、ここではまだわかっただけで終わりではありません。ToDoをやらないことにはクリアしたことにならないんです。

つまり目標は書いただけでは実現しない。書くことに意味はないってことです。

実現までのステップをプランニングし、それを一つ一つこなしていってはじめて、書いた目標は意味あるものになるんですね。

こういうことができる人は、はじめから何だってできそうです。

わたしだったら書く前から心が折れて、とても高い目標なんて書く気分になれません。

書くだけでいい「願いごと」の可能性

一方、願いごと手帖は書きっぱなし。

書いたら忘れていつも通り過ごせばいいことになってます。

願いごとを書くということ自体がミッションなので、書いたら一つミッション終了ということで満足していいんですね。

だから願いごとを書いたことは、無意味になりようがない。

ただし最低年に一回は願いごとをチェックして、かなったものに印をつけて数える作業をします。

かなわなかった願いごとは数えない。

かなった願いごとだけ数える。そして、かなった願いごとの数が貯まっていくことを喜びます。

この願いごとチェックが嫌な作業だと思う人はそう多くないと思う。

ただ、願いごとを書いたりチェックするのがめんどうになったり忘れたりして、いつの間にかやめてしまうことはあるかもしれない。

やめてしまったからと言って、劣等感を感じることもない。

やめるのも自由というか、やめたからってどうってことない。

願いごと手帖は、書いても書かなくてもどっちでもいいようなものなんです。

だったら逆に、書かないより書いたほうが喜ぶ機会が増えるだけいいことないですか?

しんどくなって思考停止になってしまうような目標を考えるより、願いごとの一つでも書いたほうがマシというか、ずっといい気がします。

達成しないといけない目標がある場合も、挫折しにくい願いごと的思考を取り入れて、チャンスに備える構えをとったほうが案外ラクに実現できるかも。

「願いごと手帖」 ナメたら損する!?

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