健康と手間とコストの狭間で

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50代になったら身の回りを小ぢんまりと片づけて、大切なことにもっと集中できるようにしなくては、と思い立つ。

で、まずは健康と体質改善に乗り出した。

すると食生活を見直さざるを得なくなった。便利だった加工品や調味料が使えなくなり、仕方なく自分で作る手間が増えた。さらに食用油のレベルを上げたらコストも上がった……。

確かにダイエットには成功した。片頭痛の薬もやめられるかもしれない。だけど小ぢんまりと片づいた暮らしに近づけているだろうか……。ときどき振り返ってみる必要がありそうです。

捨てる手間と拾う手間

家事の手間はなるだけ捨てようと思ってました。

ところがこの年になって、毎日決まった掃除をする習慣ができました。心が軽くなる すごいお掃除術を読んで影響されたんですね。そのほうがラクで気持ちよく過ごせることがわかってしまったから仕方ない。こればかりは今のところどうにも省きようがない手間なのです。ただ、週末は休んでもいいことにしているし、何かの用事でうっかり忘れることもある。元気なら高齢になってもできる程度の全然大したことない掃除です。手間などと言っては恥ずかしいかもしれません。

調理に関しては、若いときからずっと手間なんかかけるもんかとばかりにやってきた。ラクにできそうな道具にはすぐ飛びついて、あっという間にガラクタになりました……。

あるときから人並みのことをしようと思うからいけないと悟り、レベルを思い切り下げることにしました。食材をただ蒸したり焼いたりしておいしく食べればいいと思うことにしたんです。毎日違う献立にしないといけないルールも捨てました。おいしくて好評だったおかずは「明日もこれでいい?」と家族にたずねる。案外喜んで賛成してくれることが多いんです。(いい家族です。)旬の野菜はおいしいときに思いっきり食べる。けっこう飽きないものなんですよ。

そうすると、枝豆やサトイモを蒸したり、レンコンを炒めたり、これまでめんどうで加工品で済ませていた野菜を進んで買うようになったんですね。フシギなことに、少しも手間だと思わない。おいしくて食べたいからついせっせと調理する。何回も同じことを繰り返していると、よりラクにおいしくできる方法が身についてきて、ますます楽しくなる。今年は栗を圧力鍋で蒸す方法を覚えたので、栗ご飯の出番が増えそうです。

朝は自分はジュースの用意をし、家族には味噌汁を作っておけば各自漬物やのり、納豆なんかで食べてくれる。食事のしたくがほんとにラクになりました。

圧力鍋万歳!

年をとると、重くて危険な圧力鍋は使わなくなると言う人もいますが、わたしは高齢になっても使い続けたい。こんなに調理をラクにおいしくしてくれるものはないからです。

構造が単純な分銅式が手入れも簡単でおススメです。圧力鍋は消耗部品の交換が必要になるので、ランニングコストが安いことも大事なポイントです。わたしも持ってますが、高圧ほどいいとか、圧力調整ができるほうが便利なんてことはありません。

分銅式は最近めっきり見かけなくなりました。最新のものはずいぶん軽くなって進化しているようです。わたしはこのタイプが一番すっきりしていて使いやすいです。

健康と手間、健康とお金、その捨てポイント

とはいえ、健康に気をつけるようになると、手間もお金もかかる、という面はもちろんあります。ですがうちでは、たとえ健康のためであっても、ここはシビアにお金に糸目をつけて線引きしてます。

そのポイントは簡単です。続けられるかどうかです。あっちもこっちもどれもこれもはナシです。資源には限りがありますからね。手間もお金も続けられないものに関してはすっぱりあきらめて切り捨てます。

生活を途中で投げ出してやめてしまうことはできないからです。生活破綻を招くような手間やお金の使い方は捨てていいことにしています。

そんなこんな、あれやこれやは日々変化してます。気が変わって、続けてきたことを突然やめてしまうことだってありえます。捨てるものあれば、拾うものありでいいんです。暮らせてればそれでよし。万事オッケーなんです。

こんな感じで小ぢんまりな暮らしに果たして近づいていけてるのでしょうか……。とりあえずイケてるってことにしておきます。

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